2007年10月02日
第66回日本教育学会 in 東京・慶應義塾大学
8月29日(水)~30日(木)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsse4/
http://jera66.org/
今年の夏はこの日本教育学会に参加することが一番の目的でした。
もちろん、これまで素晴らしい先生方に出会い、
自分の中でものすごいエネルギーとなって、ここまできましたが、
改めて、名実ともに有名な全国の学者が集まるこの学会で、
果たしてその先生方はどれほどのものがあるのか?
それをこの眼で実際に見て、触れ、感じ取ることで、
また新しい世界や深い考えが自分の中に生まれると感じていました。
実際に、発表、レセプション、その他での多くの方々との対話は、
自分にとって、本当にちからになりました。
以下、参加した報告会および全体会。
一般研究発表Ⅰ
いじめ問題への教育的対応
一番最初の会は自分の専門分野ともいえる「いじめ問題」であったため、
緊張しつつも、参加しやすい会でした。
中学教師だった経験から、カウンセラーの視点から、国際的動向という視点から
非常に洞察的な視点からそれぞれ提言をされていて、
多くのことを学びとれたと思います。
詳しくは、10月末までに書き上げる予定の論文で、
自分の考えを述べますので、もう少しお待ちください。
公開シンポジウムⅠ
教育政策と教育学研究との対話―教育学は政策学たりうるのか―
趣旨を転機しておきます。
教育学はその学問的性格から、絶えず「現実」との接点が問われ、「現実」に引き戻されることを宿命づけられている。
たとえば教育哲学研究であれば、その研究者が対象としての思想・学説の内容を
いかに十全に把握し得たとしても、それだけで完結するわけではない。
教育史研究であれば、その仕事は歴史資料の精密な解読だけに終わるものではない。
同様の事情は教育社会学、教育心理学などあらゆる教育関係諸学にも指摘できることであろう。
その意味で、教育学研究の世界において得られた知見は、
それが現実の教育上の諸問題とどのように関わるのか、という問いから解放されることはない。
他方、多少ひいき目に見れば、教育学はこれまで、そうした「現実」との緊密で、
建設的な関係構築のためにそれなりの努力を積み重ね、
またそれなりの貢献を果たしてきたという評価もあり得るだろう。
とりわけ教授理論やカリキュラム研究、あるいは実際の教員養成など学校教育の基盤を形づくる分野において、
重要な成果を生み出してきたと指摘することは許されよう。
しかし、そうした評価があるにしても、教育学研究が対峙すべき「現実」の中の極めて重要な一部門としての
国の教育政策立案過程に着目するならば、教育学研究はどのような貢献をなし得てきた、と言えるだろうか。
今後、教育学が接点を確保すべき「現実」として教育政策の分野に重大な関心を傾けようとするならば、
それとどのような関係を構築していくべきなのか。
教育学研究者間のいわば内部者の眼のみで教育政策のありようを吟味することには、
もはや限界が見えているのではないだろうか。
このシンポジウムでは、教育政策の策定者や教育行政の実施者の側が教育学研究をどう評価し、
それに何を期待しているのか、また教育学の隣接領域からは教育学研究にどのようなことが求められているのか、
こうしたことに関わってあえて私たちの学会の外部の方々の注文を議論に取り入れながら、
教育学の政策学としての可能性と課題を探ってゆきたい。
そうそうたるメンバーによるシンポジウムで、なかなか緊張しました。
難しいことをたくさん述べていますが、
このシンポジウムのキーは、教育学=教育政策=教育現場が果たして達成されているのかということ。
残念ながら、教育学=概略的なものが多い、教育政策=政治的介入的要素が強いという特徴を鑑みると、
教育現場に対して、正しいアプローチができているかというと、すべてが違うとは言いませんが、
あながち疑問が発生してくるのは当然のことでしょう。
そのため、早急にすべての組織において、この3つの立場がリンクしあうようにならなければなりません。
その上で、子どもたちのための教育政策を考えていく必要性があるでしょう。
一般研究発表Ⅱ
市民性教育の課題②
市民性教育については深めていくつもりなので
ちんぷんかんぷんな予感はしましたが、
私が憧れているところの院生のレポートは
どんなものなのかという少しミーハー的なものもあって、参加を決めました。
アクティブ・シティズンシップとは、
スウェーデン・モデルと呼ばれる福祉国家体制が1980年代に欧米諸国へ崩壊したことで、
いわゆる小さな政府体制への転換を呼びかける際に用いられた概念のことを指します。
私は、思想的なものはちんぷんかんぷんなので、
勝手に日本の場合はどうだろう?と考えていました。
実際、日本でも徐々にアクティブ・シティズンシップが求められているのは、
最近の政策を見れば明らかでしょう。
しかし、主体性が乏しく、依存性が強い、現代の日本の若者を見ると、
なんて矛盾しているのかと考えてしまいます。
しかし、唯一、若者がアクティブに持論を唱えあっているところがあります。
それはインターネット。
2chや裏サイトなどといったインターネット上での討議空間では、
若者を中心にさまざまなユーザーが意見をぶつけ合っています。
これを利用しない手はないでしょう。
私たちにとって、インターネットはもはや当たり前になった時代でもあるわけですから、
それをただホビーや嘲笑の場とするだけではなく、
政府や国民全体が社会参画や問題提起ができるツールのひとつとして、
改めて見つめなおしていく必要性があります。
さすれば、多少は日本社会も本当のアクティブ・シティズンシップが成立していくのではないでしょうか。
特別課題研究
プロフェッションとしての教員養成に関する総合的研究
こちらも趣旨を転機しておきます。
教職大学院の動きが本格的になってきましたが、
教職のプロフェッショナリズムをどう構築するかの議論が共有されないままに、
教員養成系大学・学部の再編がらみで展開している傾向がみうけられます。
本特別研究は、教職のプロフェッショナリズムをさまざまな観点から掘り下げることを目的として設置されました。
昨年度は、「教師教育の高度化と専門職化をめぐる情勢と課題」と題するテーマで
戦後の教員養成が内包する基本的な矛盾とその解決をはかりながら高度化する課題について、
また、「教員養成の高度化とカリキュラム開発」というテーマで
アメリカにおける教員の研修制度と免許更新制からみた日本の政策的な観点の問題について、
指摘がおこなわれました。
今年度は、それを基礎に、プロフェッションとしての教師がどのような教養と
専門的な中身をもつことが要請されるかについて以下のような報告を提供する予定です。
報告者の数を少なくし、討論に十分な時間をかけたい設計としております。
多数のご参加を期待しております。
教育再生会議で、唯一、現在の教育改革に異を唱す先生と
子どもの発達の視点に立つ教育改革や教員養成制度の確立が喫緊の課題と先生という、
今の荒廃している教育現場に一石を投じようとしているお2人の発表。
非常に興味深いものがありました。
ただ、教員養成という概念からだったので、少し定義的になってしまったのが残念でした。
もう少し違うテーマから切り込んだほうが議論が盛り上がり、勉強になったんじゃないかとは思いました。
しかし、私自身はお2人とお話ができ、今後の研究に熱が入りそうです。
ラウンドテーブル
戦後教育研究の「失敗」について
こちらも趣旨を転機しておきます。
教育学を中心とした専門的な教育研究は、
戦後の対立図式を色濃く反映するイデオロギー的な磁場のなかにあったといわれる。
他方、実証研究の軽視など、本来果たすべき役割を十分に果たし得なかったという批判もある。
こうした点をふまえ、私たちは日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト
〔日本の教育システム:教育研究の「失敗」サブグループ〕において、
教育を専門的に対象とする研究自体を対象化し、何が「失敗」とみなされ、
どのような批判や反批判、学問的な展開があったのかに関する議論を積み重ねてきた。
本ラウンドテーブルでは、このような私たちの研究成果を報告しながら、
戦後教育学についての議論を深めていければと考えている。
自分的には、実際に「失敗」の箇所を報告し、説明してもらえるのだと思っていたのですがが、
この研究においての過程がほとんどで、興味深いところはたくさんあったものの、少し残念でした。
著書が出来上がったら、読み込んで勉強したいと思います。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsse4/
http://jera66.org/
今年の夏はこの日本教育学会に参加することが一番の目的でした。
もちろん、これまで素晴らしい先生方に出会い、
自分の中でものすごいエネルギーとなって、ここまできましたが、
改めて、名実ともに有名な全国の学者が集まるこの学会で、
果たしてその先生方はどれほどのものがあるのか?
それをこの眼で実際に見て、触れ、感じ取ることで、
また新しい世界や深い考えが自分の中に生まれると感じていました。
実際に、発表、レセプション、その他での多くの方々との対話は、
自分にとって、本当にちからになりました。
以下、参加した報告会および全体会。
一般研究発表Ⅰ
いじめ問題への教育的対応
一番最初の会は自分の専門分野ともいえる「いじめ問題」であったため、
緊張しつつも、参加しやすい会でした。
中学教師だった経験から、カウンセラーの視点から、国際的動向という視点から
非常に洞察的な視点からそれぞれ提言をされていて、
多くのことを学びとれたと思います。
詳しくは、10月末までに書き上げる予定の論文で、
自分の考えを述べますので、もう少しお待ちください。
公開シンポジウムⅠ
教育政策と教育学研究との対話―教育学は政策学たりうるのか―
趣旨を転機しておきます。
教育学はその学問的性格から、絶えず「現実」との接点が問われ、「現実」に引き戻されることを宿命づけられている。
たとえば教育哲学研究であれば、その研究者が対象としての思想・学説の内容を
いかに十全に把握し得たとしても、それだけで完結するわけではない。
教育史研究であれば、その仕事は歴史資料の精密な解読だけに終わるものではない。
同様の事情は教育社会学、教育心理学などあらゆる教育関係諸学にも指摘できることであろう。
その意味で、教育学研究の世界において得られた知見は、
それが現実の教育上の諸問題とどのように関わるのか、という問いから解放されることはない。
他方、多少ひいき目に見れば、教育学はこれまで、そうした「現実」との緊密で、
建設的な関係構築のためにそれなりの努力を積み重ね、
またそれなりの貢献を果たしてきたという評価もあり得るだろう。
とりわけ教授理論やカリキュラム研究、あるいは実際の教員養成など学校教育の基盤を形づくる分野において、
重要な成果を生み出してきたと指摘することは許されよう。
しかし、そうした評価があるにしても、教育学研究が対峙すべき「現実」の中の極めて重要な一部門としての
国の教育政策立案過程に着目するならば、教育学研究はどのような貢献をなし得てきた、と言えるだろうか。
今後、教育学が接点を確保すべき「現実」として教育政策の分野に重大な関心を傾けようとするならば、
それとどのような関係を構築していくべきなのか。
教育学研究者間のいわば内部者の眼のみで教育政策のありようを吟味することには、
もはや限界が見えているのではないだろうか。
このシンポジウムでは、教育政策の策定者や教育行政の実施者の側が教育学研究をどう評価し、
それに何を期待しているのか、また教育学の隣接領域からは教育学研究にどのようなことが求められているのか、
こうしたことに関わってあえて私たちの学会の外部の方々の注文を議論に取り入れながら、
教育学の政策学としての可能性と課題を探ってゆきたい。
そうそうたるメンバーによるシンポジウムで、なかなか緊張しました。
難しいことをたくさん述べていますが、
このシンポジウムのキーは、教育学=教育政策=教育現場が果たして達成されているのかということ。
残念ながら、教育学=概略的なものが多い、教育政策=政治的介入的要素が強いという特徴を鑑みると、
教育現場に対して、正しいアプローチができているかというと、すべてが違うとは言いませんが、
あながち疑問が発生してくるのは当然のことでしょう。
そのため、早急にすべての組織において、この3つの立場がリンクしあうようにならなければなりません。
その上で、子どもたちのための教育政策を考えていく必要性があるでしょう。
一般研究発表Ⅱ
市民性教育の課題②
市民性教育については深めていくつもりなので
ちんぷんかんぷんな予感はしましたが、
私が憧れているところの院生のレポートは
どんなものなのかという少しミーハー的なものもあって、参加を決めました。
アクティブ・シティズンシップとは、
スウェーデン・モデルと呼ばれる福祉国家体制が1980年代に欧米諸国へ崩壊したことで、
いわゆる小さな政府体制への転換を呼びかける際に用いられた概念のことを指します。
私は、思想的なものはちんぷんかんぷんなので、
勝手に日本の場合はどうだろう?と考えていました。
実際、日本でも徐々にアクティブ・シティズンシップが求められているのは、
最近の政策を見れば明らかでしょう。
しかし、主体性が乏しく、依存性が強い、現代の日本の若者を見ると、
なんて矛盾しているのかと考えてしまいます。
しかし、唯一、若者がアクティブに持論を唱えあっているところがあります。
それはインターネット。
2chや裏サイトなどといったインターネット上での討議空間では、
若者を中心にさまざまなユーザーが意見をぶつけ合っています。
これを利用しない手はないでしょう。
私たちにとって、インターネットはもはや当たり前になった時代でもあるわけですから、
それをただホビーや嘲笑の場とするだけではなく、
政府や国民全体が社会参画や問題提起ができるツールのひとつとして、
改めて見つめなおしていく必要性があります。
さすれば、多少は日本社会も本当のアクティブ・シティズンシップが成立していくのではないでしょうか。
特別課題研究
プロフェッションとしての教員養成に関する総合的研究
こちらも趣旨を転機しておきます。
教職大学院の動きが本格的になってきましたが、
教職のプロフェッショナリズムをどう構築するかの議論が共有されないままに、
教員養成系大学・学部の再編がらみで展開している傾向がみうけられます。
本特別研究は、教職のプロフェッショナリズムをさまざまな観点から掘り下げることを目的として設置されました。
昨年度は、「教師教育の高度化と専門職化をめぐる情勢と課題」と題するテーマで
戦後の教員養成が内包する基本的な矛盾とその解決をはかりながら高度化する課題について、
また、「教員養成の高度化とカリキュラム開発」というテーマで
アメリカにおける教員の研修制度と免許更新制からみた日本の政策的な観点の問題について、
指摘がおこなわれました。
今年度は、それを基礎に、プロフェッションとしての教師がどのような教養と
専門的な中身をもつことが要請されるかについて以下のような報告を提供する予定です。
報告者の数を少なくし、討論に十分な時間をかけたい設計としております。
多数のご参加を期待しております。
教育再生会議で、唯一、現在の教育改革に異を唱す先生と
子どもの発達の視点に立つ教育改革や教員養成制度の確立が喫緊の課題と先生という、
今の荒廃している教育現場に一石を投じようとしているお2人の発表。
非常に興味深いものがありました。
ただ、教員養成という概念からだったので、少し定義的になってしまったのが残念でした。
もう少し違うテーマから切り込んだほうが議論が盛り上がり、勉強になったんじゃないかとは思いました。
しかし、私自身はお2人とお話ができ、今後の研究に熱が入りそうです。
ラウンドテーブル
戦後教育研究の「失敗」について
こちらも趣旨を転機しておきます。
教育学を中心とした専門的な教育研究は、
戦後の対立図式を色濃く反映するイデオロギー的な磁場のなかにあったといわれる。
他方、実証研究の軽視など、本来果たすべき役割を十分に果たし得なかったという批判もある。
こうした点をふまえ、私たちは日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト
〔日本の教育システム:教育研究の「失敗」サブグループ〕において、
教育を専門的に対象とする研究自体を対象化し、何が「失敗」とみなされ、
どのような批判や反批判、学問的な展開があったのかに関する議論を積み重ねてきた。
本ラウンドテーブルでは、このような私たちの研究成果を報告しながら、
戦後教育学についての議論を深めていければと考えている。
自分的には、実際に「失敗」の箇所を報告し、説明してもらえるのだと思っていたのですがが、
この研究においての過程がほとんどで、興味深いところはたくさんあったものの、少し残念でした。
著書が出来上がったら、読み込んで勉強したいと思います。
Posted by ヒロチ at 02:29│Comments(0)│TrackBack(0)
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